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江戸時代中期はとば屋では5代目治良右衛門より姓を中野と称しと代々造酢業をいたしておりました。小浜藩主酒井家の「鷹部屋」〔鷹狩の鷹を飼っていた屋敷〕を払い下げ受け住居となしたので「鷹部屋の酢」として珍重されとても繁盛したと聞いております。
宝永年間の前は、元禄時代ですが江戸で大火事や災難があまりにもつづき宝永に年号がかわったそうですがその頃のとば屋治良右衛門は、6代 7代と興隆の様子が覗えます。ともかく昔は、よく大火事が起きたという話は、先々代にもよく聞かされました。 富士山の大噴火もその頃にありその頃の鳥羽屋の先祖は、どのように過ごしていたのだろうと見てみたいものです。私が来た時は、奥蔵 中蔵 前蔵 外蔵と4棟建っておりましたがいずれも江戸末期から明治に建てられたもので火事は、ほんとうに再々あったようで昔のものは、すべて燃えたと聞きました。
次回に詳しく書かせてもらいます。とば屋の酢は、昔は、むろの中に壺をうめていわば縁の下の地下室ようなところで醸造されていました。その前は、大きな桶で断熱のためコモ(藁で編んだ厚手の筵)などをまいて仕込んでいたと聞きますが 桶の輪(竹製)がはずれて酢が流出したりしたので壺にかえたと聞き及びますがひょっとして火事などの被害から守るためではと私は、推測します。
先出の前蔵は、当事ではめずらしいレンガ蔵でしたのでこれも火事から守るためのものではなかったかと思われます。しかしながら昔の人たちの再建へのエネルギーはすごいですね。今そのようなことが起きれば とば屋は、立ち直れるのかしら?でもこの酢づくりを次の代へ渡さなければならない使命が、、、、、 |