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養子がつづいたとば屋にやっと生まれた9代目の治郎右衛門の時代背景は、 たぶん小浜の町も随分と栄えていた頃のようです。 小浜は、城下町としても全国の中でも賑わいのある町で 現在が3万5千人の人口で江戸時代の人口が2万人ともいわれ割合からいえば 相当の町だったことが伺えます。 小浜の港には、3丁町といわれる遊郭もあり遊郭がある港町は、船乗り達で賑わったそうです。
明治になって鉄道が敷かれるまでは、交通は、多くの荷が一度に乗せられる船便が主流であったため 港町が発展し、とば屋の酢もどんどんと桶に入れられ、荷車で港へ運び、港の北前船に載せられ 遠く北海道まで昆布の加工用に運ばれたようです。
さてそんななか9代の当主治良衛門 幼名 政吉は、 子供の頃は、大火事などで波乱があったようですが店が落ち着いた頃には、 若旦那として放蕩息子だったようです。 伝え話に自分の朝帰りに泥棒と出くわし泥棒を捕らえた話があります。 お酒も相当飲んだようです。 ところが大店の塩谷孫兵衛の一人娘キヌを嫁にもらってからは商売に精を出すと書かれた物があり古今東西 男は、嫁でかわる? のでしょうか・・・一人娘のキヌの嫁入りに関してはいろいろな話があるのですが、、、 残念ながらキヌの実家は、没落してしまいました。
キヌは、後も実家の菩提寺や墓をずっと守り代々 私の姑の代までキヌの実家のお墓をおまつりしていたようです。 実家の菩提寺までしっかりと面倒がみれるのですからこの頃のとば屋の興隆ぶりが伺えます。
商標ともいえる江戸時代から瓶の形をした木の看板がありますが、昔軒先にかかっていておおきな酢(す)の字がかかれたその看板には、 両面に、「造元(つくりもと)「極上」「於路し(おろし)」と彫ってあり小売り業ではなく「米酢」の卸元だった様子が伺えます。 (この解読は、近世社会史ご専門の専修大学の青木美智雄教授が当方に立ち寄られた折、 解説してくださいました。) 次回は、キヌさんのお話です。
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