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9代目治郎右衛門はキヌとせっかく所帯がもてたのに若いときの酒がたたり胃の病にて52才で逝去してしまいました。 キヌは42才で後家になりました。この頃の話は、100年ほどの前の話ですが、車も鉄道もない時代。 人力車で京都へ、、私が嫁いだころまだ祖母(キヌの娘ふく)が存命でしたのでキヌの話は、よく聞かされました。 肖像画なども残っておりその姿が大阪の伯母とそっくりなのでDNAのおそろしさを認識しました。
キヌは、なかなかのしっかり者で、女ながらたくさんの使用人とともに無事とば屋の酢づくりを踏襲することができたようです。 またたいへん弘法大師への信仰があつく我が家にも現在りっぱな祠がまつられています。
前蔵 中蔵 奥蔵と屋敷には3つ蔵があり外蔵といって巽の方角に道具蔵もあったのですが前蔵は、 めずらしいレンガ蔵で火事にも耐えられるようにたててありました。 建て前のときには出入りの者にすべてとば屋の揃い半天を着せたという(いま物産展で半天愛用しています。) 興隆振りがうかがえます。
キセルをふかし晩酌をして男まさり あちらこちらのお寺まいりに人力車ででかけたということです。 9代目治郎右衛門とキヌの間には、男子が2人出来ましたが1歳ぐらいで2人とも病死・・・ あきらめて遠縁の娘を養女にして育てていたところ「ふく」が誕生しました。 久しぶりの実子にてふくは、本当にお嬢様として育ったようです。養女とともに大きくなりましたが養女は、 家をもらい出入りの者と所帯を持ったそうです。 キヌさんが太っ腹なところはこの養女が嫁いだ先は、借金で家を売ってしまったそうなのですがまた家を 買い戻して難を助けたそうでその家からは、代を重ねた今もお礼を言われます。
けれどもとば屋は、8代 9代と若くして子供たちがこの世を去り因縁が深くキヌのお寺参りや信心も そんな願いがあったと私は思います。 キヌはとば屋には功績のあるおかみさんです。
次回は、10代目治郎右衛門、、、この人もすばらしい徳の持ち主でした。
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